庭日記
突然ですが、“自然”と”人工”の違いって何でしょう。
これは、私がこの仕事を始めてずっと気になっていたテーマのひとつです。
皆さんも、もしかしたらそんなことを考えたことはあるかもしれません。
今回はその自然と人工について私なりに考察しました。
少し哲学的になるかもしれませんがどうぞお付き合いください。
———————————————————————
“自然”と”人工”について
まず、自然を思い浮かべるなら、木や、石、山、海、川、虫、花などをイメージするかもしれません。
それに対して人工は、人間が作ったもの→車、都会のビル、家、コップ、機械などなど。
しかし、田んぼどうでしょう。
人が整地をし、そこに水を流し、作物を育てます。
その田んぼには、カエルやタニシなどの生物が住み着きます。
そこにあるのは、自然でしょうか?人工物でしょうか?
それでは、これはどうでしょうか。
人間が作った家は人工物
蜘蛛が作った蜘蛛の巣は自然?
この違いは何でしょうか。
寂れた建物の壁に、ツタが這うように覆い、経年変化のヒビや、錆びで朽ちているのを見ると、その境界線はどこなのだろうと感じます。
このように考えていくと、その違いをつくっているのは、人の意識のような気がします。
自然も人工物も、時間的、空間的に、混ざり合い、濃淡が変わり流動し続けます。
そもそも「自然(シゼン)」という言葉は明治時代までなかったようです。
西洋の“nature”の訳語から、自然(シゼン)という言葉が定着したようです。
それまでの日本では自然を(ジネン)という呼び方で捉えていました。
自然(ジネン)とは、”自ずから然らしむ”ということです。
まさに、そのまま、あるがままの状態のことです。
つまり、人間と自然を二項対立する西洋的な考え方ではなく、人間もその一部となりうるという思想です。
「森羅万象」という言葉もその思想のひとつでしょうか。
人間と自然、人工物と自然、という分別ではなく、人間(人工物)もそのなかの一部であると考えると、あるべき姿が見えてくるような気がしました。
【ブログ担当:加藤】
夏が過ぎ去ったとはいえ、まだ残暑厳しい日が続いてますね。
夏本番を乗り切り手入れも少し落ち着いたので、先日行った駐車場作成の様子を少し
お伝えしたいと思います。
世田谷区内にお住まいのお客様が、車の購入にあたり自宅に駐車場が無いというないようで
依頼をお受けしました。
元々、大部分を草木におおわれていたお庭ですが駐車スペース確保のため思い切ってほとんどを
抜根し、既存の平板は駐輪場を移動することで広々としたスペースを確保しました。
今回は土間などは打たずに、ターフパーキング+砂利敷きと言う形で作成。このターフパーキングと言う商品は、
軽量ながらも強度が強く、砂利や、砂だけでなく芝生やグラウンドカバーに覆われた駐車場の作成も可能にして
くれて作業も素早く行える商品です。このターフパーキングを敷く事で砂利に流出も防げる優れものです。
既存の平板は駐車スペースの周りと、駐輪しやすい様に駐輪場下にも据え付け再利用しました。
多くの人が植木屋は樹木を触るだけと言うイメージかもしれませんが 、このような外構工事の提案、施行
も行っています。
8月もいよいよ下旬となり、暑さは残るものの、心地良い風が吹く季節となり、夏の終わりを感じる季節となりました。
夏休みは皆様どうお過ごしでしたでしょうか。
私自身、地元が長野の松本という所ですので、今年も夏休みは田舎で過ごしました。
お盆中はお墓参りをしたり、迎え火を焚いて、先祖をお迎えし、ご供養しました。
また、普段会えない家族や友人と会ったり、
山や川、自然のきれいな景色を見に行きました。
上京して6年が経ちますが、毎回、故郷に帰省するたびに、人や自然からパワーをもらえます。
また、それまで地元で過ごしていた時にはなんとも思わない景色でも、一度、外に出ると”綺麗だな”“素敵だな”と感じたり、”自分ってこんな素敵なところにいたのか”というように気付くことができます。
外に出て、始めてその内の有り難さに気付く。なんてことは皆様もご経験あると思います。
今回はその、長野での写真をいくつか貼らせていただきます。
【ブログ担当:加藤】